――パァン!

乾いた音が幽霊棟の食堂に響き渡った。
そこにいた全員の視線が音の発生源にくぎ付けとなる。
それは御影さやかが御影清史郎の頬を叩いた音だった。

『少年が眠りにつく日』

その日、幽霊棟には客が来ていた。御影清史郎の母と義理の妹の御影さやかが二人。目的は御影清史郎の復学の手続き他、諸々。もう既に学校側として死んだ人間として扱っていた御影清史郎を復学させるには想像を絶するほどのややこしい手続きが必要だったし、それはいくら望んだとしても津久居賢太郎が出来る類のものではなく、戸籍上の保護者にあたる実の母親がやらなければいけないことだった。本来ならば学校の、進路室、もしくは会議室を借り行うべきことだったが、厄介ごとと判断した学校側はこれ以上のもめごとに巻き込まれるのを恐れ槙原渉に押し付けた。御影清史郎がなついていることをいいことに。

勿論、槙原も槙原できちんと校長や教頭立ち合いのもと、然るべき場所でやるべきだと何度も何度も抗議をしたのだが、清史郎が起こした出来事は光智学園創立以来前代未聞の出来事だったし、なにより御影清史郎にどう話しかけ、どう聞いたものか、学校側も考えあぐねていたのだろう。無責任な、と内心歯噛みをしたがこれ以上抗議をしては御影清史郎の復学すら危ぶまれると判断した槙原渉が引く羽目になってしまった。学校側の立場もわからないわけではない、むしろ復学という手段をとれたのは槙原渉にとっては僥倖だった――世間体をひどく気にする学校でなければ、おそらく御影清史郎は退学処分になっていたに違いない。

学生寮と違って、幽霊棟は他の生徒に事の仔細がばれない場所であったし、ゆっくりと話もできる。よくよく考えれば最善の選択だったのではないかと考えなおし槙原渉はそっと胸の内で溜め息をついた。

そこに母親だけでなく、義理の妹も来訪したのは予想外であったけれども。

御影さやかの姿を認めてゲッと声を上げ、逃げ出そうとした清史郎をなだめすかしながら槙原渉と津久居賢太郎と食堂のテーブルに着いた。賢太郎の同席は清史郎の望みであったし、何よりも母親との潤滑剤になりうると判断した槙原が半分冗談半分脅迫まがいの言葉を吐いて無理矢理ひっぱってきた。向い合せ座っている母親と、その隣に再婚相手の連れ子が居心地の悪さに拍車をかけているのか、視線を泳がせ、何かを誤魔化すように煙草を碌に吸いもせずに何本も消費し、灰皿に押し込めている賢太郎を見てから、その隣にいて、ふて腐れた顔をしている清史郎と本当によく似ているなと、槙原はふっと優しげに目を細めた。

秋の緩やかな昼下がりの太陽が食堂のテーブルに差し込んでいた。こんなまじめな話し合いでもなければうたた寝でもしてしまいそうな柔らかい光。暑くて、熱くて、槙原の頭をあんなにも悩ませた夏はもうとうに過ぎ去っていた。

「今日は遠い中わざわざお越しいただきありがとうございました」

コホン、と咳払いを一つして本題に入る。とっとと切り上げてしまわないと、食堂の外でそわそわと落ち着かない状態で待機している他の生徒たちが今にも扉を開けて飛び込んできそうだったからだ。清史郎はまたここに戻ってこられるのか、一緒に暮らせる日はまた来るのかと追い出すまで心配そうな顔を隠そうともせず、おろおろと泣きそうな顔をしていた学生五人の姿が目に浮かぶ。彼らは友人を今度こそ失くしはしないと必死だった。その気概に、願いに応えたいと槙原はそう思っていた。いや、今も思っている。

「いえ、こちらこそありがとうございます。槙原先生」

清史郎の母親は槙原の想像よりもずっと優しい印象をしていた。容姿も年齢を考えれば整っているほうだろう。ただひどくやつれているように見える。化粧では隠しきれぬ疲労がどんよりと彼女の表情を曇らせていた。一連の御影清史郎がらみの流れを思い起こせばやつれてしまうのは当たり前といえば当たり前だが。細かいことはまだ母親である彼女の耳には入ってない。清史郎が何を思い、どうしてあのような行動に出たか。知らないからこそ余計に不安を煽っているのだろう。担任教師の立場からすれば古川鉄平のことも含めきちんと一から話すべきなのだろうが――それを判断するのはきっと槙原渉ではない。息子である清史郎自身から話さなくてはいけないことではないのだろうか。いつまでも隠し事をしているわけにはいかない、また隠し事はいずれ清史郎に跳ね返ってくるだろう。痛いほどにそれを理解している槙原は今日は極めて事務的な話だけにしようと、そう、考えていた。
「あの、せんせい……」
「はい?」
言いづらそうに清史郎の母親は何度か唇を開いては閉じ、瞳を閉じた。しかしやがて意を決したように息を飲む、そして槙原を正面から見据える。
「この子はどうしてあのようなことをしたのでしょうか」
あのようなこと、とはまさしくつい先ほど槙原が考えていたことだ。縋るような声色を出されて思わず槙原は狼狽えた。理解ができないのだ、いやきっと理解したくても出来ない。自分の息子がしてきたことを――学校と友人、そして家族を欺き、何か月も行方不明になっていた理由を。きっと清史郎の母親は永遠に理解できない。それは予想できていた、きっとおそらく母親も、槙原も、清史郎も。それでも子供を理解したいという親の願望なのだろうか、清史郎の母親はただただ理由が知りたいようにも見えた。
「それは……」
今度は槙原が言いよどむ番だった。ここで槙原の口から話してしまうのは容易いことではない。
ただ御影清史郎本人の口から話してもきっと信じてもらえない。
一日で話し終わる内容でもなかったし、彼女はあの舞台の外にいたからだ。観客にすらなれずに。
ちらりと槙原は困ったような視線を清史郎と賢太郎に送った。
そして賢太郎も困ったように視線を清史郎に送る。きっと彼も槙原と同じ考えだろう。これは清史郎が清史郎自身の意志をもって話さなくてはいけない。

そして重苦しい沈黙が食堂に落ちた。今にも呼吸が止まってしまいそうなほどの。

「ちゃんと、はなして」

意外にもその沈黙を破ったのは御影さやかだった。
驚愕に見開かれる清史郎の双眸をさやかはまっすぐな眼差しでひたと見据える。

「ちゃんと、わたしとおかあさんが、納得できるように、話して」

短く、しかし、切実な思いが込められた声音がさやかの唇から紡ぎだされる。

「…………」
「――おい清史郎」
「何」
「ちゃんと話してやれ、少なくともお前を心配してこの子は――」
「あんたが言える言葉かよ!」

心の一番脆い場所を賢太郎につつかれて激昂した清史郎がガタッと音をたてて椅子から立ち上がる。衝撃で目の前のティーカップがひっくり返り、中の紅茶が零れた。それも意に介さずそのまま清史郎は食堂から出て行こうとする。慌てて制する槙原を押しのけながら清史郎は叫んだ。

「この人達には関係ない!」

その言葉――関係ないと清史郎が口にした瞬間に清史郎はさやかに頬を叩かれていた。

※※※

ぽかんとしていたのは清史郎とさやか二人とも。
いや、その場にいた槙原も賢太郎も清史郎の母も呆然としていた。
叩いた本人も、叩かれた当人もまさかこんなことをするとは微塵も思い描いていなかったらしい。ぱちりと清史郎が瞬きをして痛いと呟いた。

「――って!いてぇんだよ!なにするんだよ!」

痛みがどんどんと現実を引き連れてきたらしく、清史郎は感情的に怒りをまき散らした。頬をいきなり打たれるなんて理由があってもなかなか納得はできないことなのに。文句を叩きつけてやろうとさやかを真正面から見据えると、再び双眸を驚きで大きく見開かせる羽目になった。

ぽろぽろとさやかは涙を流していた。

唇をかみしめて、声もなく、泣いていた。

「……え?は?」
「――清史郎、お前……」

なに女の子を泣かしてるんだと責めるような賢太郎の声色にぶんぶんと清史郎は首をふった。わからない、今のやりとりでさやかが泣いた理由がわからない。本当にわからないのだ。おろおろとする槙原と唖然とする賢太郎と母親が眼中にないかのようにさやかはただ清史郎の瞳を見つめて涙を流していた。ぱたぱたとさやかの白い頬を伝わった涙がテーブルに染みをつくっていく。

「……関係ないって言わないで」
「――は?」
「関係なくないもん……私達だって清史郎の家族なんだよ!いつも兄ちゃん兄ちゃんって!なんで?ねぇ、どうして!清史郎の家族だったのは、傍にいたのはわたしたちだったじゃない!」

かぞく――予想もしていなかった言葉を予想もしていなかった人間に言われ清史郎は力が抜けたように椅子に座りこんだ。
「なんにもしらねぇくせに」
すとんと何かが落ちたような、例えて言うならば長年憑いていた憑き物のようなものが落ちた気分だったが、それでもさやかの言葉を素直に聞くことはできなくて、清史郎はぼそりと毒づいた。
「――知らないわよ!だって清史郎がなにも話してくれないじゃない……何度も聞こうとしたのに、自分から壁をつくってとうとうこんな学校にはいって……」
「だって、それは」
――それは?
津久居賢太郎だけが自分の家族と思っていたから、それとも――。
そこまで考えてようやっと清史郎は自覚する。いつも目の前にいる義理の妹は何かを話しかけようとしてやめようとしていなかったかと。いや、話しかけられて煩わしそうに無理矢理話題を逸らしたのは自分ではなかったかと。そうだ、今もこうして、御影さやかは涙を拭かず、凛然とした瞳で清史郎を見つめている。ひとつも清史郎の言葉を聞き逃してなるものかと、必死に視線を逸らさず、話を、聴こうとしている。
「……清史郎、俺が言えた義理じゃないが」
沈黙に耐えかねたのか、賢太郎がそろりと口を開いた。少し悲しげに目蓋を伏せながら。その顔はどこか怯えていて、その声はどこか掠れていて、大人になりたくないと清史郎の前で泣いた賢太郎を彷彿とさせた。
「本当に俺が言えた義理じゃないが――」
すう、と何かを覚悟したように息を吸う賢太郎に、その場にいる全員の視線が集中する。
「今のお前は昔の俺と同じだ」
バツが悪そうに目をそらして、それでも明瞭な声でハッキリとそう口にした。過ぎ去り日に、大人になっていくたびに弟からの手紙を無視続けていた自分と同じだと伝えたいのだろう。
「……兄ちゃん」
「俺と同じ轍は踏むな……もうあんな悲しいことは繰り返すな。もう、きょうだいに寂しい思いはさせるな」
ぽん、と清史郎の肩に手をのせて自分が出せる精一杯の真摯な声を出しているであろう賢太郎に、苦笑で返す。
「……本当に兄ちゃんがいえた義理じゃねぇな」
ツンと清史郎の鼻の奥に痛みが走る、涙が出る前兆のあの独特の痛み。でもこの涙はきっと悲しみではなくて歓迎すべき涙なのだと清史郎はそう感じた。
「ああ、そうだな。だから俺ももうお前には寂しい思いはさせないから――清史郎も兄ちゃんとして向かい合ってあげてくれないか?」
――そんなこと言われなくても。
涙を流しながらも清史郎を見つめているさやかを、大きな瞳で清史郎は見つめ返した。もう視線を逸らす必要も感じなく、どこから話していいかもわかったような気がした。きっと彼女は一つ残らず聞いてくれるだろうから。

「……話すと長いけど、あのさ……俺」

意を決してさやかに向かって清史郎が口を開いたその途端、食堂のドアのほうからがたがたっと何かが崩れる音がする。驚いてそちらを見ると白峰、久保谷、辻村、茅、和泉が折り重なって食堂に雪崩れ込んできていた。
「ぎゃー痛いいたい!さっちゃん踏まないで!」
「ちゃんとドアを抑えてない瞠が悪い」
「ねー、俺の服ひっぱらないでよっ!お気に入りなんだから!」
「白峰、すまない、うまく君をささえることができなかった……」
「いいからお前ら全員俺の上から今すぐどけー!」
どうやら心配が頂点に達して会話を盗み聞きしていた学生たちが話の佳境でとうとう我慢できず、ドアを開けてしまったらしい。そしてそのまま自重に耐えきれず崩壊、食堂への雪崩れ込みとなったようだ。ぎゃーぎゃーと好き勝手喚く五人を見て槙原はがっくりと肩を落とした。
「……君たち立ち入りは厳禁したはずでしょ?」
「ごめん、先生、だって清ちゃんが……」
久保谷瞠に続けというように次々と清史郎の様子を慮った言葉を口にする。心配する気持ちもわからないでもないが、なにもこんな時にと槙原は目眩を起こしかける。

「――よかった」

まだわぁわぁとうるさい学生たちのその様子を見ながら、一連の流れを静かに見守っていた清史郎の母親がそうぽつりと漏らすとその場は水を打ったように静かになる。

「この子をこんなにも思っていてくれる友達がいてくれたのね――本当によかった」

静かな呟きだったが、その言葉は痛みをもって清史郎の心に届く。ぐっと心臓を握られたような気持ちになる。

「――心配かけてごめんなさい」

あまりにも自然に口から零れた言葉は、今までの清史郎からは想像できなかっただろう。その素直な言葉に賢太郎は目を見張ったが、その後優しく微笑んだ。弟の確かな成長の証に賢太郎は胸が熱くなる。きっと他の人間がいなかったら抱きしめていた。

「ちゃんと、話すから、さやかにも」

その思いの全てを込められた言葉にさやかは涙ぐみ、こくりと頷いた。

「はーい、君たちいい雰囲気のところわるいんだけどね!本当に悪いんだけどね!もう時間がありません!今日は御影くんの復学の話し合いだからねー」

食堂の空気をあるべきものに戻そうと手に持っていた書類をばしばしとテーブルを叩いた。まるで裁判官のように。もう昼と表現すべき時間は過ぎてしまい、とっくに三時のお菓子の時間。早く話を済ませて、とるべき手続きをしてしまわなければ御影清史郎の母とさやかの帰宅時間は夜遅くになってしまう。きっと賢太郎が途中まで送り届けるだろうが、それでも夜に女性二人を帰路につかせるのは槙原としては避けたいことだった。

「だから、今日は我慢してね、御影くんも、えーっと……さやかちゃんも」

申し訳なさそうに頭を垂れる槙原に主に学生一同からブーイングがきたが、一番大事な話し合いをしなくてはいけないのは皆わかっていたので、大人しく食堂から学生たちは出て行く。思い思いの言葉を残しながら。

「マッキー、話し合いが終ったら教えて、あとでお茶もってくるから」
「さやかちゃんって言うの?清史郎、あとで俺に紹介して」
「遅い、春人、僕はもう写メをとった」
「いつも清史郎くんにはお世話に――」
「茅!生徒会長みたいな挨拶は今はいい!あーそうだ、槙原、三時のお菓子の牛乳寒天が冷蔵庫に入ってるから……そのさ、皆で食えよ」
「えーレンレン俺達の分はないっすか?」
「ちゃんと作ってある!」
「やったー!辻村の手作りお菓子だー」
「ああああ、もうわかったわかったからお前ら出てけ!あっこら清史郎お前はでていくな!」
「……津久居さん言葉尻がきついです」
「あーもう!」

やれやれと、今度こそ本当に槙原が溜め息一つつけばさっきの沈痛な表情はどこにやら、優しく子ども達を見守る母親と、その義理の娘と目があった。

「御影くんはいつもああして皆を和ませてくれる優しい子です。だからもう少し待っていてあげてください」
「――はい、先生、あの子を、いえ、あの子たちをよろしくお願いします」

喧噪を脱して、ようやっと清史郎をひっぱってきた賢太郎が席に戻ると、槙原は津久居くんもお母さん大事にしないとねぇとニヤニヤと笑って話しかける。照れくさそうにふんと鼻を鳴らして賢太郎はそっぽを向いたがどうやらまんざらでもないらしい。

「さて、話し合いが始まる前に、これだけ――御影くん、今度の休みはちゃんと実家に帰るんだよ」
「――うん、ちゃんと帰る」
素直にこくこくと頷く清史郎にさやかはばっと顔を上げた。なんだか気恥ずかしくて顔を上げていられなかったらしい。
「今の言葉、わたし絶対忘れないからね」
「うんざりするほど長い話をしてやるから、覚悟しとけよなっ」
「……うんっ、うんっ」

 そうして再び泣き出したさやかをあやしながら清史郎は、次の休日には必ず帰ろうと心にそう決めた。出来れば初めてさやかと出会った雨の日がいい。もし雨がふっていなくてもあの日あげたキャンディーを持っていこうと。そう考えながら。願わくはキャンディーをあげたことをさやかが覚えてくれるといいと、キャンディーと同じぐらい甘酸っぱい気持ちを抱えて。




三周年&FOOLリメイクフルボイス化おめでとうございます!マスターアップお疲れ様でした!これからもずっとネヴァジスタ大好きでいさせていただきます!これからもずっと応援してます。私の一押しの瞠と春人コンビもどうぞよろしくおねがいします!


◆ とな
◆ @t0na38



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