その言葉は子供でも大人でも使うようなよくある挨拶の筈だった。

「あ。マッキー、片付けならオレがやっとくっスよー」
 久保谷瞠が朝の片付けを申し出るのはよくある事だ。彼を含む幽霊棟の生徒達の目下邪魔な同居人であるはずの先生、槙原渉は忙しい朝を毎日のように過ごしている。そんな彼を追い出す計画を未遂とはいえ実行しようとした罪悪感もあって生徒達の中でも久保谷瞠という少年は特に自らの特性をフル活用して甲斐甲斐しく槙原先生を気遣っていた。
 そして今朝も今朝とて慌ただしい朝を生きる槙原は日頃の感謝の気持ちと、後なんかその時の軽い気分で可愛い生徒に言葉を返した。
「蟻が十なら芋虫二十」
 そして次の瞬間リビングに沈黙が訪れた。洗い物をしていた辻村煉慈は勿体なくも水を垂れ流したまま手を止め、白峰春人は先程からうたた寝をしていて、和泉咲はいじり続けていた携帯電話から顔をあげ、茅晃弘は未だランニング中の為姿すら無い、そして槙原の食器を持った瞠はただでさえ大き目な瞳をぱちくりと瞬かせて聞き慣れない言葉を反復する。
「ありがとおならいもむしはたち?何?何かの暗号なの??」
 子供達の反応があまりに芳しくないので、さすがの槙原も不安になり眉尻を下げてしまう。
「あれぇ?もしかしてみんな聞いた事ないのかぁ…うーん、generation gap!」
 水を流し続ける蛇口をきゅっと捻り、手を拭きながら煉慈も二人に近づいて尋ねる。
「蟻?芋虫?朝から気持ち悪い話か?槙原」
「違うって。これは…うわ!?もうこんな時間!?!?ごめん先に行くよ!また後でね!!」
 否定とともに解説をしようと首を煉慈の方に振り返ろうとしてそこで槙原は時計を視界に入れてしまった。針が単調に刻む遅刻という事実と一緒に。
「あ、マッキー!い、行ってらっしゃい!!」
 ドタバタと今にも転びそうになりながら出ていく槙原の背中を、瞠は勢い追いかけて玄関まで見送った。
 そしてリビングに戻りさっきと変わらぬ場所に立ったままの煉慈に改めて確認してみる。
「…ねえ、さっきのやつレンレンも聞いた事ないんだ?」
「無いな。ジェネレーションギャップとか言ってたし賢太郎は知ってるんじゃないか?同世代だろあいつら」
 早々に子供の自分達には分かるはずないと考えた煉慈は、現在子供達だけで秘密裏に監禁している友人の兄である津久居賢太郎というひとりの男を提示した。
「マッキーの方が若いッスよ!」
 瞠としては友人の兄より槙原を好意的に見ているのでつい贔屓してしまう。そして賢太郎と言う男を正直好きではないと自覚もしているので治す気も無い。
 それでも朝ご飯を届けるついでにちょっと気になる話をする位ならいいかと、一緒の当番のはずの咲にも声をかけた。
「…そうだな。さっちゃん、ほら賢太郎のご飯行こうぜ」
 咲は瞠に急かされても動じず、マイペースにご飯を食べていた。
「あさごはんまだ食べ終わってない」
 賢太郎程じゃ勿論無いが、咲にもつくづく困りものだと瞠は思う。思ったのでそのまま注意した。
「携帯いじってちんたら食ってるからだろこぶた、ほら早く口に突っ込め」
 ついでに咲が片手に持っていた携帯電話を取り上げる。画面は見ないようにしたつもりだが、チラと見えてしまった画面にはハートとか顔文字とかいっぱいで女の気配がした。思わずテーブルに叩きつけるように置く。
「リア充で羨ましいからって壊さないで」
 咲は携帯を取られ不機嫌そうに目を眇めつつも、賢太郎の為にか携帯電話の為にか少しだけペースを速めてなんとかご飯を食べ終えた。瞠は咲に携帯電話を渡し、煉慈から賢太郎の分のご飯を受け取って扉に向かう。
「馬鹿言ってないでさっさと行くぞ。レンレンはハルたんをよろしく」
 リビングから出ていきながらの頼まれ事に、煉慈はいつの間にかぐっすり寝ている春人をチラリと見て嫌そうな顔をするが、朝ごはんが片付かないのも困ると渋々了承した。
「仕方ないな、茅が帰って来るまでだからな…おい白峰起きろ、俺の飯が食えないというつもりか」
 きっと戻った時には揉めてるんだろうな、と思うようなケンカ越しの台詞を後ろに、瞠と咲はお腹を空かせているだろう彼のいる部屋に向かった。


 部屋の扉を開けて中に入ると賢太郎は既に起きていて軽いストレッチをしていた。だが瞠と咲が部屋に入ってきたのに気付くとストレッチをやめてベッドに腰かけた。
「今日の朝はお前らか、オカマとチビ」
 朝の挨拶よりも先に勝手に付けてきたあだ名を呼ばれて、反射的に瞠はムッとなる。本名も偽名も今更言うのが面倒だから放置しているだけで、決してオカマじゃない。
 何でこいつは思い込んだら一直線なんだ、と考えたらそれは友人にも言える事だと気付いて更に気持ちが暗くなる。
 咲は既に携帯電話をいじっていて会話に参加する様子もないし、どうせなのでさっさと訊いてしまう事にした。
「賢太郎、ごはん欲しかったら教えて欲しい事があるんだけど」
 瞠からのお願い、とは違うかもしれないが申し出が珍しくて賢太郎は驚いてごはんより瞠を見つめる。
「何だいきなり」
 瞠としても素直に聞く姿勢になっている賢太郎が珍しくて、二人は不自然にも自然に見つめ合ったまま会話を続けた。
「蟻が十なら芋虫二十って何だ?」
「は?」
 せっかくの質問に対して賢太郎の反応が薄いので、瞠は一文字一文字丁寧にもう一度繰り返した。
「アリガトオナライモムシハタチ」
「……知らん」
 今度は賢太郎が視線を落とし、しばらく沈黙してからの回答だったが、考え込んでいた時の顔には思い当たる瞬間の表情が確かにあったのを瞠は見逃さない。
「賢太郎、ダウト。お前知ってるだろ」
 あっさりバレた嘘にも動揺もせず賢太郎は、ベッドに座り直りつつ意地の悪い顔で瞠を見上げてくる。瞠は少しイラっとした。
「お前らに教えるメリットがわからん」
「だからごはん!」
 教えを乞う子供に対してなんて酷い態度をする男だろう、と瞠は思う。自分がごはんを使って脅してる事はもちろん棚から下ろす気もない。瞠は結構イラっとした。
 そんな瞠を挑発するかのように賢太郎は顔を覗き込むようにして口端を吊りあげてみせる。
「俺が飢えていいのか?飢え死にまではさせないだろうが抵抗力とか落ちて簡単に風邪とか引いてやるぞ?」
「このくっそムカつく駄犬が」
 愉快そうに笑う賢太郎に瞠のハラワタが煮えくり返りそうだ。瞠はとてもイラっとした。
「がんばって賢太郎」
 何故かいきなり咲まで言い合いに参加したと思ったら賢太郎を応援していて、瞠はついキレ気味に怒鳴ってしまう。
「さっちゃんはどっちの味方なの!?」
 怒鳴る瞠に対し、咲はさっきの仕返しとばかりに可愛らしい舌を出してきた。
「とりま賢太郎。瞠キライ」
「このこぶたもムカつくー!」
 地団駄を踏む瞠はこの場は分が悪いと悟り、賢太郎に持ってきた朝ごはんを乱暴に渡すと足音も荒く咲を連れて出て行った。
 瞠と咲が出て行った扉を見て賢太郎はくすくすと笑う。珍しく瞠が必死に知りたそうだったから少し意地悪しただけですぐ教えるつもりだったが、今日はこのネタで遊べるかもしれないと嬉しそうにごはんにやっとありついた。


 日中、学校でなら槙原にいくらでも訊けるかと思っていた子供達は、珍しくも今日という日に限って槙原も自分達もタイミングが合わず、気付いたら夕方になってしまっていた。
 しかも今日は槙原の残業がある日、つまり夕方は賢太郎のお風呂タイムだ。瞠は学校に槙原の見張りとして残ったが、やはり最後まで訊く事ができずに終わった。

 ちなみにその頃幽霊棟での風呂では、廊下への扉付近の脱衣所に春人、浴室内に晃弘が賢太郎逃亡防止の為に見張りをしていた。
 朝ごはんの時には寝ていた&いなかった春人と晃弘だが、既に他の三人から事情は聞いており、賢太郎が瞠に意地悪している事も把握済である。
 白峰にもそれとなく頼まれていた晃弘は素直に賢太郎に訊いていた。
「津久居さん教えてください」
 お風呂に入りだしてから十何回も同じ質問を繰り返されてさすがに賢太郎も呆れた。
「しつこい。というか何故眼鏡がいるんだ」
 あと何故自分にとって一番身の危険を感じる子供がその自分の見張りとしてここにいるのか理解できなかった。いつもは足に縄が付けられているだけの筈だ。もしかして瞠に意地悪したせいか、と考え込む賢太郎に晃弘は眼鏡を押し上げながら不本意そうに訊き返してきた。
「僕では何か不都合でも」
「不都合すぎるだろうが!俺にだって身を守る権利はある」
 自分にとっては思い出すのも嫌なお風呂場でのトラウマなのに、平然と接してくる晃弘に戸惑いを隠せない。
「今は大丈夫ですよ、安心してください」
「今はって…全然安心できないだろそれ…もう逃げないし浴室内まで見る必要はないだろう」
 せめてできれば外にいる春人と交代して欲しい気持ちもあり、少し下手に出てお願いしてみるも。
「でも見張れと白峰に言われたので」
 あっさり拒否され、しかも。
「俺に男の裸を見つめる趣味はないからね。ありがとう、茅」
 浴室の会話が聞こえてたのか、外からそんな春人の主張も聞こえてきた。
「どういたしまして白峰。君の為にがんばるよ」
 春人のお礼の言葉にとても嬉しそうに返事をする晃弘に、呆れ返りつつも諦め半ばで賢太郎は要求した。
「じゃあ俺は裸を見られて喜ぶ趣味はないから見るなよ」
「でも」
「今度はなんだ」
 それでも反論するのかと、温かいお風呂に入りながら視線だけは冷めた眼で晃弘を見ると。
「さっきから眼鏡が曇っているので実は見えません」
「……」
 確かに真っ白だった。


 遅い晩ごはんの時には賢太郎はすっかり疲れていた。なので、晩ごはんを子供達五人揃って部屋に持ってきた時点で喋っていいと思っていた。
「……」
 それでも朝の意地悪は未だ後を引いているらしく、晩ごはんは喋るまでお預けのようだった。仕方ないと軽くため息を吐いて賢太郎は子供達を見まわした。
「……わかったよ、でもそんなにお前らが思っているより大した物じゃないからな」
 一応確認をする賢太郎に瞠が詰め寄ってきた。
「それで?早く言えよ」
 少しカチンとしつつもこれ以上は無駄だとお互いに理解している。賢太郎は片膝に肘付きながら思い出しつつ説明していった。
「ただの言葉遊びだ。『ありがとう=蟻がとお(10歳)ならば、それより大きい芋虫(あるいはミミズ)ははたち(20歳)』という啖呵売(タンカバイ)のひとつかもな」
「たんかばい?」
 初めて聞く新たな単語に首を傾げる子供達に、世代の差を見せつけられた気持ちになって賢太郎は先程より深いため息を吐いた。
「お前ら寅さんも知らないのか…。縁日とかで遣う売り文句みたいなもんだよ」
「とらさん…」
 本当に聞き覚えがないのか単語を繰り返されて、詳しく説明しても無駄だと悟った賢太郎は乱暴に纏めた。
「ただの言葉遊びなんだから深く考えるなよ、言ってみりゃなんて事はない駄洒落みたいなもんだな。で?これがどうしたんだ?」
 こんなにも気にしていたのは何故なのか問いかけた賢太郎を無視して、やっと理解できた子供達は気が抜けたように笑い出した。
「マッキーはじゃあ普通にお礼を言ってただけなのかー!」
 まず心底ホッとしたように瞠が喜んだ。
「美しい日本語なら他にもたくさんあるのに槙原らしいと言えばらしいのか」
 駄洒落を好まないのか煉慈はいない槙原に文句をつけていた。
 他の子供達もそれぞれ納得の表情を浮かべて全ては解決した雰囲気になっていた。春人は眠そうにしていてそれを晃弘が支えている。咲は手に持った賢太郎の晩ごはんの器を見つめていた。
 賢太郎だけが蚊帳の外だった。ただ、槙原というのが彼ら子供達とともにここ幽霊棟で暮らしている先生だと言うのは把握している。
「何だ?お前らの先生はオヤジギャグ好きなのか。おっさんみたいだな」
 そう賢太郎が何気なく挟んだ軽口に瞠が噛みついてきた。
「マッキーはお前より若ぇよ!」
「それはそれで嗜好的に問題だと思うが」
 年齢的には問題なくても精神的におっさんはどうだろうかと純粋に心配したつもりの賢太郎だったが、瞠にとって槙原は思ったより特別らしいと知る。
「うっせぇよ、いいんだよマッキーはマッキーで」
 こんな何気ない一言、しかも駄洒落で子供達を翻弄する槙原という男に少し興味を惹かれつつ、とりあえず賢太郎は今宵の晩ごはんを食べる事を優先した。
「おいもういいだろ、晩ごはんは?」
 催促して差し出した賢太郎の手に珍しく咲が器を持ってきた。
「うどんだよ、賢太郎」
 そう言って乗せられた器の中身は白いものでぎゅうぎゅう詰め状態になっていた。
「…麺が伸びてやがる…」
 もう二度とご飯を後回しにしない事を誓った賢太郎だった。


 1年後。東京にクリスマス準備の買い出しをしていた槙原に、賢太郎は呼び出された。だけどたっぷり待たせたのに文句ひとつなく現在一緒にツリーを梱包している槙原と賢太郎の姿が夜の公園にあった。
 黙々と作業しているうちについ過去の回想をしていた賢太郎はふと試してみたくなった。それだけだ。別にこの寒空での奇跡のような邂逅が嬉しかったわけじゃない。
「槙原」
 何気ないつもりで名前を呼ぶ。
「なーにー?」
 相変わらず気の抜ける応答が返ってくる。冷たい空気を少し吸って、白い息を、吐く息を賢太郎は言葉に替えた。
「ありがとおならいもむしはたち」
 きょとんとした顔をこちらに向けて、次の瞬間槙原は爆笑した。
「ぎゃはははは!なにそれ!津久居くんたらオヤジギャグ好きなの!?」
 ちょっと予想より違う反応を返されて、賢太郎は寒さだけじゃなく顔に血が上るのがわかった。つい怒鳴るように返す。
「違う!元はと言えば1年前にお前が言い出したんだろが!!」
「あれ?そうだっけ?」
 こいつ…殴りてぇ、と本気で賢太郎は思った。実現はしてないが。
「あー…うんうん、そうかも。あはは」
 思い出したのか誤魔化しているのか未だに笑う槙原に賢太郎の不快度指数が急上昇していく。
「笑うな」
「だって津久居くんが捻くれつつもお礼を言うなんて今夜初雪が降るわけだよ」
「うるさい」
「あー寒い!…あ、津久居くんのオヤジギャグの事じゃないよ?」
「黙れ!」
「ねえ津久居くん」
 ふと自分を見つめる視線を感じて、賢太郎が振り返るとやはりそこには笑う槙原がいて、イラつく気持ちを抱えながらそれでもじっと見つめる視線に耐えきれず賢太郎は返事をする。
「……何だよ」
「You're welcome!」
 そう無駄に発音の良い歓迎の言葉を鼻を赤くした槙原は笑いながら言った。そして賢太郎の急上昇中だった気持ちは白い息と一緒に消えていった。

 その言葉は子供でも大人でも知ってれば誰もが使うよくある挨拶だった。




図書室のネヴァジスタ3周年おめでとうございます!私にとってはまだ1周年ですが、それでもとても濃ぃい1年間をありがとうございました!!
THE FOOLの発売もおめでとうございます!何度も言ってますがおめでとうございます!!これからも健康にはくれぐれもお気をつけてお過ごしくださいませ!!
3周年に関係ない内容ですみません…ちなみに小っさいですが暗号があったりします一応。


◆ こひ。
◆ @under_coffeetan



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