背中とともに、まどろみに揺れていた首を起こす。茅の頭ごしに黒板を見て、ひとまず息をついた。睡魔に意識が奪われていたのは、どうやら、一瞬のことだったらしい。
 こんなとき、茅の後ろ姿はとてもいい。
 茅は、このあいだの席替えで最前列を引き当てて、身長のためにくじを引き直さなければならなかったのだけれど、そのときも、すっと背筋を伸ばして、俺たちに微笑んでみせた。引き直したら君たちと席が近づいた、と、穏やかな軽さで呟いた茅に、辻村が確か、罵倒の形をとった丸い声を返したのだっけ。
 思い出し笑いをこらえて、シャーペンを握り直したところで、その辻村と目が合った。辻村の唇がすっと開いて、それから、音を伴わずに動く。――にひゃく、さんじゅう、よん。
 普段の四分の一のスピードで象られた数字に、俺も頷いて、声を出さずにお礼を言う。
 開いていた教科書の右下に印字されているページ番号を確認して、陽射しのあたたかさに目を細める。暖房のききの悪い窓際の席は、こんな小春日和もまた、勉強には不向きだ。
 吐き出した呼気が机にぶつかると同時、陽射しもひときわ強くなった。それも、俺が息を吸い込むと、つられたように翳る。
 気まぐれな太陽に遊ばれながら、教室中に散らばっている先生の言葉を拾い集めて、ノートに書き留めていく。
 かつりと、どこからか飛んできたメモの切れ端が机に着地したのは、そうしてノートのページを捲ったときだった。メモには、あとで目が覚めるような話をしてあげる、と、そんな一文だけが記されている。
 追伸のように、「さっちゃんのばか、ハルたんになにしてんの」という、瞠の囁き声が聞こえたので、振り返って両手を合わせ、二人に向けて謝る。慌てたように顔の前で右手を振る瞠と、こくりと頷く和泉が見えた。
 眠気はもう残っていないのに、どうもぼんやりしてしまうのは、季節の割に優しい陽射しのせいだ。
 ここで迎える三度目の冬。つまり、最後の冬、ということ。
 最後だなんて信じられないだとか、信じたくないとか、そういうこととはまた、違う。
 息をつく間だけ、束ねられたカーテンに視線を逃し、まばたきをする。浮かぶのは、二つの部屋の過去の姿だ。
 あのときの二部屋は、もう、どこにもないけれど、ハンバーグが好きなホームレスがいた部屋と、記者が鎖で繋がれていた部屋は、いっとき、似た姿でそれぞれに秘密を抱えていた。一昨年や去年の冬、教室の窓から外を見るとき、俺はたいてい、あの部屋たちのことを考えていた気がする。クラスメイトのくしゃみを聞くたび、閉じられた部屋を包む冷気を思わずにはいられなかった。
 だから、三年目の冬景色にも、なんとなく目を凝らしてしまうのだ。
 もちろん、白く輝く木々に、なにを見いだせるわけでもないと、わかっている。だけど、後ろ向きな感傷ではないから、彷徨わせた視線を、否定したりはしない。
 チャイムが鳴った。でも、先生は、早口で解説を続ける。生徒たちの焦りが、シャーペンを走らせる音を大きくする。
 結局、先生がチョークを置いたのは、チャイムの余韻が消えて、すこし経ってからのことだった。それが今度こそ、授業終了の合図になって、受験生のルーチンワークと化した溜息が、そこここから漏れ出す。先生が出ていくと、溜息は言葉を得て、あっという間に教室を満たした。
 クラスメイトが、足早に横を通り過ぎていく。机に、淡い影が落ちて、幻のように揺れた。
 陽射しが再び、俺の机を照らす。この陽射しのあたたかさを、俺のてのひらは、しばらく忘れないだろう。
 机に放りだしていた腕を引いて、腰を上げる。そして、ポケットのなかのカイロを握るかわりに、俺の名を呼ぶ声に手を振り返した。




図書室のネヴァジスタ発売3周年、そして、THE FOOL updatedisc発売、本当におめでとうございます!
ネヴァジスタに出会って、日常を送る根底に、大切な支柱がひとつ、増えたような気がします。


◆ 佐橋
◆ @nkekg



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