雪だ、という学生たちのざわめきが聞こえた気がして、窓の外を見遣った。
 薄暗くなった外の景色の中、たしかにちらちらと白いものが舞い落ちている。反射的に、わあ、と感嘆の音が口からこぼれた。雪ではしゃぎまわるほど若くはないが、今日この日に雪が降るとなると、なんだか特別な感じがするものだ。
 自分のデスクから離れ、窓の傍へ近付いた。雪の日はいつもよりもどことなく音が遠ざかる。つられて、僕の足音までもが静かになった。
 窓辺へ立つと、部活が終わった学生たちなのか、校庭ではしゃぐ生徒たちが視界に入った。おそらく最初に聞こえたざわめきは、彼らのものだったに違いない。ふっと笑みが浮かぶ。あの子たちがとても楽しそうで、見ているこちらまで嬉しくなる。
 この窓をひらいて、メリークリスマス! と叫んでしまおうか。突然降ってきた声に、彼らは驚くだろうか。驚きながらも、何してるんですか先生ってば! と、笑い転げてくれるかもしれない。楽しそうだ。そう思って、心なしかわくわくしながら窓を開けたところで、室外の空気の冷たさにはっと目が覚める。自分が今いるのが職員室だということを思い出した。思い出して――他の先生方に聞き咎められたら恥ずかしすぎるなぁと、叫びかけた言葉は慌てて飲み込んだ。

「で?」
「だから、メリークリスマス!」
「あのさ、君わかってる? 俺はすごく忙しいんだけど?」
「え、でも、もう終わったでしょう?」
「…………」
「ホワイトクリスマスだよ神波さん!」
 頭を抱える神波さんを見て、そんなにため息吐くことかなぁ、と首を傾げた。
 だって、珍しいホワイトクリスマスなのだ。心うかれるのも仕方ない。学生たちの前で、学校という場でそれを露わにするのは気が引けたが、今はもう先生という立場で言っているわけではないし、こうも呆れられるほどのことではないと思うのだけど。子供たちのように雪の中走り回る元気はなかったけど、気分が高揚するのはいいじゃないか。クリスマスなのだし。しかも雪だし。ホワイトクリスマスなのだし。
「……全部口に出てるけど。同じことばかり言ってるし」
「えっ」
 思わず両手で口を塞ぐ。
「まあ、いいや。それよりはやく部屋に戻ったら?」
「そっけない!」
 思わず口から本音が出てしまう。神波さんはやっぱり機嫌を損ねたようで、眉間のしわが深くなった気がした。まずい。こういう風になるから、もう少し考えて喋らなきゃって思ってるのに。
「いつも通りでしょう」
「い……いつもよりも冷たい気がします」
「気のせいだよ」
 雪が降っているのに、それよりも神波さんの周りの方が冷たい気がする。
 うーん、でも、なあ。
「ねぇねぇ、一緒に飲みませんか?」
 諦めきれなくて、僕は当初の目的を果たすために声をかける。途端に神波さんは顔を顰めた。うわぁ、嫌そうな顔。こいつなんで声かけてくるんだ、とでも言いそうな彼の心の声が聞こえる。でも、こんな良い夜なのに、ひとりでいつものように晩酌するのはさすがに寂しいし。
 それをそのまま言ってしまえば、また呆れられるだろうか。別に僕はそれでも構わないのだけど。
「君のことだから、いいよって言うまで付きまとうんだろ」
「付きまとってないですよ?」
「いつもうるさいでしょう」
「ええ? そうかなぁ……」
 どうやら自覚がなかったようだ。じゃあ、以後気をつけます。そう返す。
「……直す気がないくせによく言うよ」
 それなのに神波さんときたらそんな風に言ってくるものだから、直前までたしかにあった筈の直そうという気持ちは、すっかりしぼんで消えてしまった。
「神波さんって、ほんと一言多いですよね」
「それ、君に言われたくないんだけど!」
 けれど渋々ながらもついてきてくれる彼は、何だかんだ言って優しいのだろう。心が浮き立つのを隠さず、今日は何を開けようか、自分の部屋の冷蔵庫の中を思い返しながら歩く。

 暗がりで見る教員寮――幽霊棟は、その名の通り、幽霊が出てきそうな風貌だ。もっとも、慣れてしまったいまさら恐ろしいとかそういった感情は湧かない。
「ただいま〜」
 ただ、名前にふさわしく、僕以外がいない今では、僕がいつものようにただいまと言ったところで、おかえりと返してくれる誰かがいるわけでもない。今日は一人じゃないからいいのだけど。ただ、たまに寂しくなるのだ。まだ学校にいた方が、部活に来ている学生たちだとか、先生方だとか、誰かしらと会えるという状況で。だからついつい、冬期休暇に入っても職員室まで仕事を持って行ってしまう。仕方ない。幽霊棟に住んでいた彼らはもう卒業してしまったのだ。みんな、きっと、楽しくやっているだろう。先ほど見た生徒たちのように、もしかしたら今日の雪に、同じようにはしゃいでいるかもしれないし。そう思うと少し気持ちが軽くなって、そうしてやっぱりさっきと同じように、嬉しくなるのだった。
「そういえば、みんな今ごろ何してるんですかねぇ。神波さんは久保谷君か泉君から連絡きてるんじゃないですか?」
 大学生なんて楽しいことばかりだろうし、新しい刺激もたくさんあることだろう。どんな風に成長しているのだろう。たまに近況を知らせてくれたりするけれど、忙しい上に皆都内にいるから、そうそう簡単に会えないし。そう思って、僕よりも近しいだろう神波さんに問いかける。けれど彼は無視を決め込んだようで、答えは返ってこなかった。
「かんなみさーん。聞こえてないの? 耳遠くなるには早すぎません?」
「うるさいな聞こえてるよ。答える必要がないから答えないでいるだけ」
「えっ何それひどい」
 思った以上にグサリとくる返しをされて、肩をおとす。
 その肩をおもむろに押されて、つんのめりそうになった。慌てて足に力を入れる。
「何するんですか!」
「いいから早く入ったら。玄関先じゃ寒いし」
 さっさとしろよ、と言外に言われている気がする。なんだろう。なにかあるのかな。見たいテレビとか? すごくお腹が減ってるとか? 或いは本当にいま寒くて仕方がないとか? クエスチョンマークが頭の中で飛んだが、聞いても答えてはくれないだろうしなぁ、と、言われた通りに中に入る。やっぱり外の寒さから比べたら全然違う。人がいないとは言え風を防いでくれるだけでも全然違う。いや、それでも、なんだろう。いつもよりも随分と温かいような気がするのは気のせいだろうか。
 そろり、と、後ろにいる神波さんに視線をやる。彼の目も口と同様に答えてはくれなかったけれど、もしかしたらそれが答えなのかもしれない。いやでも……期待しすぎるのはよくないし。
 うっすらとした期待と、そんな都合のいいことがあるだろうかという声。そのふたつをぐるぐるとかきまぜて、恐る恐る、僕は食堂の扉を開いた。

「メリークリスマス!」

(う、わぁ……)
 開いた瞬間、いつの間にか引っ張り出されていた大きなツリーを真ん中にして、今しがた懐かしく思っていた彼らに出迎えられる。
「ま、マッキー? ごめんな急に……」
「先生、びっくりした?」
「槙原お前ちゃんと食べてるのか?」
「先生久しぶり。なんか痩せてない? 大丈夫?」
「お久しぶりです。お元気でしたか」
 口々に向けられる言葉に、僕は言葉をなくしかける。あまりにもびっくりしたのだ。会いたいなぁと思ったその日に、まさか本当に会えるなんて思ってもいなかったから。
「ど、どうしたの皆……」
「兄ちゃんと俺の友達に連れてきてもらった!」
「お前らがうるさかったからな」
 迎えられる言葉に、どきどきする。わくわくする。どうしよう。こんなに良い日で、いいのだろうか。今日は、とても素敵な日だ。ロマンチックではないけれど、とても温かくて、とびきり幸せなホワイトクリスマスだ。
「……みんな、」
 きょとん、と皆がこちらを向く。僕はゆるむ表情を抑えきれずに、まずはこれを言わなければと、今日、いちばんの笑顔で彼らに叫んだ。

「メリー、クリスマス!」

Congratulations on your 3rd anniversary!&Merry Christmas!



ネヴァジスタ三周年おめでとうございます…!発売前から発売後の今に至るまでいつもいつも楽しませて頂いています。嬉しい悲鳴をずっとあげているような気がしますが、それもまた幸せです。TARHSの皆さま、素敵な作品を生みだしてくださって、本当にありがとうございます。


◆ 晴乃
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