You’d be so nice to come home to

 ドアを開けると、寒さで頬を赤くした瞠くんが手を擦り合わせながら夜の空気の中に立っていた。俺の顔を見るなり肩をちょっと強張らせ、ドアマットの上に立ったまま最初の一言を探しているので、さっさとこう言って招き入れた。
「寒いんだから、早く入って」
 開け放した扉を腕で支える俺の脇を黙ってすり抜けた瞠くんは、髪と服に冬の夜気をまとわりつかせていて、張りつめたようなその匂いを鼻先に感じた。今は降っていない、降っていないだけで空と地面にはある雪の匂いだ。


「来るって言ってくれたら、駅まで迎えに行ったのに」
 部屋に入ると、去年と同じダウンジャケットを着た瞠くんは、それを脱ぎながらばつが悪そうに眉尻を下げた。
「……ごめん」
「いいよ。寒かったでしょう、何か温かいもの飲む?」
「うん」
 キッチンに立った俺を追ってきた瞠くんは、後ろに立って沈黙を埋めるようにちょっと早口で話しかける。
「誠二、なんか料理してた?」
 エプロンをつけっぱなしだったのを思い出して、俺は溜め息をついた。
「ジンジャークッキー」
 共用のキッチンの方に置いてある大きなオーブンの中ではいま、人型に抜いたクッキーが甘い匂いをさせて焼けているはずだった。焼いている間に後片付けをしようと思い、それが終わったころに瞠くんがやって来た。クッキーと聞くなり、すん、と鼻を鳴らした音を聞いて、瞠くんに見えないように笑った。たしかに部屋の空気の中には、オーブンで菓子が焼けている間だけ嗅ぐことができる香ばしいバターの香りが、細かい金色の粒子のように漂っている。
「施設のやんちゃな子が、教会のツリーに飾りつけてあったのを取って食べちゃってね。まるで果物をもいで食べるジャングルの野生児みたいにさ。誰か気がついた時には、ツリーはリボンとベルだけで裸になってたよ」
「野生児っつか、猿……」
 瞠くんは、俺が呆れた笑いとともに話した子供の行儀の悪さに顔をしかめてみせた。小さな頃から良い子だった瞠くんらしかったが、彼ももしかしたら本当はやってみたいと思ったことがあるのかもしれない。クッキーを食べ散らかしたいとか、ツリーのてっぺんにひとつだけ飾ってある星を自分のものにしたいとか。やってみたいと思ったけどできなかったから、子供の他愛ない悪事を笑うことができないのかもしれなかった。
 小さなほうろうの鍋に赤ワインを注ぎ、水を足して火にかける。瞠くんが興味深げに後ろから手元を覗き込む。
「ホットワインだよ」
「……酒とか……」
「瞠くんのはあとで煮立ててアルコール飛ばすよ、未成年でしょう。俺が飲みたいだけだし」
 俺もこの子も、いまさら飲酒くらいどうとも思わないのは確かだった。それでもあえて子供扱いをしたのは、自分たちが今いるのが牧師館だからで、彼が将来のある学生だからで、それからそうやって子供扱いをできるのがあと少しだと知っているからだった。
「来年の冬には、飛ばしてないやつを出してあげるよ」
 シュトーレンに入れた残りのドライフルーツがあったので、適当に鍋に入れた。レーズンにオレンジピール、それとさっきクッキーにも入れたシナモン、あとは蜂蜜。ワインは沸かしても惜しくない安い料理用のやつだったし、ありあわせでしかないと言えばそうなる。瞠くんは俺がひとつひとつ鍋に入れるものを、黙ってじっと興味深げに見ている。子供のように目を見開いて。
 グラスに注いだ時とは違う、気化したアルコール混じりのつんと来るワインの香りを嗅ぎながら鍋をかき混ぜて、俺はさっき自分が口にしたことについて考えた。
 来年の冬には、と。
 来年も、何年後かも、瞠くんがこうしてクリスマスに自分の側にいることを疑わないかのような口ぶりでそう言ったが、そんな確証はどこにもなかった。たとえば今年、彼が「クリスマスには帰れない」と連絡してきたとしても、きっと俺は驚かなかった。
 この子供に抱かされてしまった期待が裏切られるかもしれないという不安、もしくは不安とは思いたくない何か−−が、俺にこういう言葉を吐かせる。
「でも毎年、無理して帰ってこなくてもいいよ。彼女と出かけたりしなくていいの?」
 瞠くんが側で静かに息を飲む。俺は彼を見ず、赤い泡が立ち始めた鍋のワインの縁をへらでかき混ぜる。
「……彼女とかいないし」
「へえ、ほんと」
 相手の神経をささくれ立たせる物言いだ、と思った。わざとじゃない。わざとじゃないが、瞠くんにはそう聞こえるだろう。
「本当に、無理しないでいいんだよ。教会の方は手は足りてるとは言えないけど、どうしても瞠くんがいなくちゃならない、っていうわけじゃないよ」
「……帰って来るなってことかよ」
鍋の中で泡がさらに膨らみ、俺はガスの火を一度止めた。中身の半分をマグカップ一つに移して、それから残りをまた火にかける。瞠くんの苛立った硬い声の奥に、俺は彼が泣きそうになっているときの気配みたいなものを聞き取った。部屋の空気は今や冷ややかだ。
こういうときに口にするべき言葉は俺にだって分かっている。例えば俺の、牧師としてのプロフェッショナルな、善なるエッセンスとしての一部分なら、こう言う。


「本当に君が帰ってきてくれるかどうかは問題じゃないんだよ。帰ってくるかもしれない、と思いながらクリスマスを心待ちにすることに意味があるんだから」と。


 その言葉は決してうそごとではなく俺の中にあるが、説教壇に立ってない俺の口から出た途端に、きっとただのきれいな嘘になる。槙原なら、あの男なら、なんのてらいもなく同じことを彼に言えるだろうが。
 俺は結局、溜め息とともにこれだけを口にするのがせいいっぱいだ。
「……そうじゃないよ」
 弱火で煮立てているワインが、ふつふつと囁きのような音を立てる。それに混じって、瞠くんが小さくつく溜め息も聞こえる。俺も沈黙に苛立ち、口を開こうとしたが、思いとどまった。こういう時は、なにか口にしたら口にしただけ相手を傷つける。俺は、ちょっと早いかもしれないと思ったけれど火を止めて、鍋の中身を全部もう一つのマグカップに空けた。フルーツはほとんど瞠くんの方にいってしまったみたいだった。
 リビングに移動するために、自分の分のマグカップを右手に、瞠くんの分を左手に持とうとしたら、横から出た手が二つ目をさらっていった。立ったまま、まだ赤い頬で白いマグカップに口をつける瞠くんの横顔を俺は見た。ふうふうと吹いてから啜ったのに、熱かったのか顔をしかめる。
 カップから口を離した彼は、俺の視線にずっと気づいていたとでもいうように、大きな目でこっちをまっすぐ見つめ返した。
「……でも、俺がいちゃいけないってわけでもないだろ? どこで過ごすかは、自分で決める」
 その言葉の強さに俺は内心たじろいだ。その目から目をそらし、彼の脇をすり抜けて背を向ける。動揺を悟られたくないと思ったが、あの子にはきっとお見通しだろう。
「泊まっていくんでしょう?」
 リビングから声をかけると、さっきとは違う、いつものと同じように聞こえる瞠くんの声がキッチンで答えた。
「うん。もう遅いし、マッキーには明日幽霊棟に顔出すって言ってあるし」
「そう」
 ソファに腰を落ち着けて、やっとホットワインに口をつける。瞠くん用のと違ってあまり温めなかったつもりなのに、それはずいぶん酒らしくない甘い飲み物だった。




3周年本当におめでとうございます!遅ハマりで1周年はお祝いできなかったのですごく嬉しいです。TARHSさんの燃料投下の大量さに本当に3年目なのかな…!と感じます、いつも素敵な作品をありがとうございます!


◆ きちょ
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