新月の夜空は遠く暗いが、光の輪郭をはっきりと浮かび上がらせる。カーテンを閉めようとしていた背中を押しやって、幼い頃に教わった星座を一つ一つ指でなぞっていく。あれがライオン座で、あれがドラゴン座。幾度となくなぞり描いた軌跡を指先は忘れない。ひらがなを忘れないのと同じで、結晶みたいに俺の頭の中に残っている。
 ちょうど六つめの星座を数え終わった頃、兄ちゃんが俺の寝床を用意し始めた。時刻はそろそろ日付を跨ぐが、久しぶりの宿泊になかなか寝付く気が起きず、床の開けたスペースに大の字に寝転がる。
「おい、どけ」
  敷布団を抱えて戻ってきた兄ちゃんは、期待通りの顔と声で俺を咎めた。許してほしくて、もとい、今すぐに構ってほしくて、手足をばたばた動かしてゴキブリの真似をした。
「ばか、何やってんだ。どけよ」
  兄ちゃんはひとしきり笑ってくれはしたが、腕がしびれたのか催促するようにつま先で数度床をノックした。わずかに振動を感じるカーペットに頬を擦りつけ、俺は笑みを深める。
  避ける気がないことを悟ったのだと思う。やがて敷布団は躊躇いなく身体の上に落とされた。腹にやわらかな衝撃を感じ、大げさに悲鳴を上げてみると、兄ちゃんは面倒そうにこちらを一瞥したあと、再びクローゼットへと歩き出した。布団に押しつぶされた俺の目の前を素足が滑っていく。兄ちゃんの爪は平たくて、甘皮がよく見えない。少し欠けた親指の爪は縁をなぞってみたくなる。固そうな皮膚をしているのはきっとよく歩くからだろう。
  素足は何度か往復したあと、椅子の前でぴたりと留まった。俺の目も一歩遅れて止まる。そろそろと視線を上げると、一仕事終えた兄ちゃんは悠然と煙草を吸い始めていた。
  はじめはかっこいいなあと感嘆していたが、つまらなくなってきたので、布団の下から這い出ることにした。手持無沙汰に部屋を物色をし始める。はじめはちらりと目線をくれたものの、テーブルに置いてあった新聞に手を伸ばしたところで完全に俺は意識の外に追いやられ、このアプローチは止めにすることにした。
  用意された布団を踏み越え、ベッドの上に仰向けになり眠ったふりをする。目を閉じても就学旅行の夜のように頭は冴えきっていて、終わる気配を見せなかった。
  寮で生活をしていた頃は瞠が同室だった。幽霊棟も楽しかったけれど、一人寝はいやに寂しいものだった。たまに誰かのベッドにもぐりこんでは叱られたけれども、仕方ないなと苦笑してみんな最後には笑って許してくれる。兄ちゃんは早く眠くならないだろうか。灯りが落ちたら俺は一番に仕方ないなと言うつもりだった。
「兄ちゃんは一人暮らし、寂しかった?」
「どうだかな。何も考えないようにしてた」
「俺のことも?」
「どうだろうな」
 煙草の先がちりちり焼けて灰になっていく。兄ちゃんは立ち上がって部屋の電気を消した。煙草の火が口元だけをぼんやりと照らしている。唇は笑っているように見えたが、すぐに火は灰皿に潰され見えなくなった。室内は新月に飲み込まれる。
 空気がゆっくりと動く気配がしたので、大人しく待っていると、ひたひたと足音が近づいてきた。布団が捲られて、温かい空気の層に冷たい身体が入ってくる。兄ちゃんは暖をとるため俺の身体にすり寄ったが、体温が移った頃には背を向けて横になっていた。呼吸のたびに身体が揺れ、わずかな衣擦れの音がする。背中から聞こえる心臓の音は、まだどくどくとあわただしかった。昔から逃げるように眠る人だった。
「……仕方ないなあ」
 俺は静かに目を閉じて、十つ目のティラノサウルス座を目蓋に思い描く。明日の夜は天体観測に誘うことにした。一緒に星を見に行って、この目に映る星々がどれだけ美しいのかを伝えよう。大げさだと笑うだろう兄ちゃんが、そうだなと頷いてくれるまで。




3周年おめでとうございます。FOOLも楽しみにしています。賢太郎が好きです。


◆ 久住
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