冬の夜、静かなこの空間で幽霊棟の生徒たちは思い思いに過ごしていた。
時々聞こえる風の音は、まもなく雪が降るのだろうとそんな予感をさせた。
静かだな、と誰かが呟いた瞬間にそれはいともたやすく壊された。
慌ただしく開かれた玄関の扉は壊れるのではないかというくらい大きな音をたて生徒たちを驚かせた。
「うわああああああああああん」
次にその扉の音さえ小さいのでは、と思うくらいの大きな声が幽霊棟に響き渡った。
それは泣き声だったのか、雄たけびだったのか顔を見るまでは生徒たちには分からなかったが足音があちらこちらからその発信源に近付く。
「ど、どうしたの!?」
最初にそこにたどり着いたのは瞠だった。
次にのんびりと歩いて来たのは1階に部屋がある咲と煉慈だった。
「なにかあった?」
「泣いてるのか……」
顔を見た瞬間に歩く速度は早くなり心配そうに声をかける。
煉慈の手が悩んだ末動こうとした時また足音が聞こえた。
「な、なに!?」
「落ち着いて」
まだ眠そうな春人を支えながら晃弘が階段から下りてきた。
その眠そうだった目がある人物を見た瞬間大きく開かれた。
「清史郎どうしたの!?」
そして走り出す。晃弘も驚いた顔をしながら後を追った。
「ひぐっ……ずずっ……」
名を呼ばれた人物、清史郎は涙を何度も手で拭くが止まらない。
「清ちゃん……」
あまりの酷い泣き方に瞠もどうして良いか分からなくなりだしていた。
「清史郎、一体なにが……」
晃弘の問いに答えが出るのを皆じっと待った。
「……どうじよう……にいぢゃんが……記憶喪失になっちゃった!!」
その答えに皆が一時停止してから反応を示した。
「は?」
「なにそれ」
「うそでしょ……」
「まさか……」
「それ煉慈の持ちネタじゃないの?」
「和泉おまえ!!」
「怒らないでよ」
「清史郎、もっとちゃんと説明して」
春人の微かに震えた指が清史郎の肩を掴んだ。
「……う゛ん」


「兄ちゃん兄ちゃん!」
「ちょっと待て」
その日は兄ちゃんが珍しく途中まで送ってくれるって言いだした。
「早く早くー!」
雨が降っていたせいか地面は濡れていた。
「あんまりはしゃぐなよ」
階段の上でぴょんぴょんと跳ねている俺を見て兄ちゃんがそう言った後だった。
「わ、わわっ!!」
誰かにちょっとぶつかっただけだった。
体はぐらぐらと揺れまるでスローモーションみたいだった。
その時見た兄ちゃんの顔が凄い吃驚しててちょっとだけ面白かった。
落ちる、そう思って目をつぶった。
お腹が痛くなって、なんかよくわかんなくて……。
「いたたたっ……」
目を開けたら兄ちゃんが俺の下にいた。
兄ちゃんの手は俺の背中にあって、俺が起き上った瞬間手が落ちていった。
「兄ちゃん?兄ちゃん?」
急いで兄ちゃんの上から退いて呼んだ。
なにが起こったか俺にはわからなかった。
「ねえ、兄ちゃんどうしたの?」
でも、兄ちゃんは全然動かなかった。
「兄ちゃん!!兄ちゃん!!」
俺、兄ちゃん起こさなきゃって思って……。
「御影君?」
「……せんせい?」
顔をあげたら先生がいて俺を見てた。
「どうし……津久居君!?」
慌てて俺の横に座って先生は兄ちゃんを心配げに見つめた。
「階段から落ちたの?」
先生は優しい声で俺に聞いてきた。
それで俺はやっとわかったんだ。兄ちゃんは俺を庇ったんだって。
なんて言って良いかわからなくて俺はただ頷いた。
「救急車呼ばなきゃ」
「……っ」
先生がそう言った瞬間兄ちゃんの瞼が開いた。
「あっ、兄ちゃん!」
「いっ……なんだこれ」
頭を擦りながら兄ちゃんはゆっくりと起き上った。
「ここどこだ……」
「ちょっと津久居君大丈夫?」
「兄ちゃん!」
兄ちゃんが俺と先生の顔を見た。
「……だれだ」
心臓がドキドキした。嬉しいとかじゃなくて苦しくて。
「兄ちゃん……俺だよ……」
声が震えた。兄ちゃんが俺を忘れるなんて思いたくなかった。やっとまた兄ちゃんと話せたのに。
「…………」
でも、兄ちゃんはなにも言ってくれなかった。
苦しくて、苦しくて、苦しくて、俺は走ってた。
気付いたら幽霊棟に戻ってた。


「冗談やめてよ」
「そうだよ、賢太郎の冗談に決まってるだろ」
「でも……」
「津久居さんが……」
「…………」
冗談と言葉にするもどこか不安そうな表情を見せる。
清史郎の涙はまだ止まらない。
「にいちゃん、にいちゃん」
床に崩れ落ちそうな清史郎を晃弘が支えた。
「とりあえず座らせるぞ」
そう言って煉慈は晃弘に指示をした。
「わかった」
「おまえらも一先ず落ちつけ、賢太郎が本当に記憶喪失かわからないだろ」
誰もが口にはしなかったがその時の煉慈は確かに悲しそうな表情をしていた。


寒いと感じた。
誰も喋ろうとしなかった。先ほどの心地良い静けさでは無く氷のような冷たさが幽霊棟に充満していた。
泣き続ける清史郎をずっと撫で続ける春人。その隣で心配そうに見ている瞠。
静かだった。呼吸をするのが苦しいくらいに。
清史郎の話を聞いてからどれくらい時間が経ったか誰にもわからなかった。
ギィー、静かに開けられた玄関の扉はこの静かな幽霊棟には妙に大きく響いた。
カツ、カツと靴音が近付く。
「あれー、みんなどうしたの?」
この空気を壊すかのような明るい声だった。
暗かった幽霊棟が一気に明るくなった気がした。
「マッキー……!」
「槙原!」
「先生!」
曇った顔がほんの少しだけ安堵した表情に変わる。
「御影君もう帰ってるよね」
その言葉にビクッとしたのは清史郎だった。
涙で腫れた目はまだ悲しいと潤んでいる。
「やっぱり凄いんだね、お兄ちゃんって」
陰に隠れて見えなかった人物が姿を現した。
「清史郎」
柔らかい声が幽霊棟を照らし出した。
「に、にいちゃんっ!!」
清史郎の涙が止まる。大きな目がますます大きくなって賢太郎を見た。
「泣いてたのか」
笑いながら清史郎へと近づく。
「だれだ、なんて言って悪かったな」
「兄ちゃん……俺のこと覚えてる?」
「ああ」
「……記憶喪失じゃないの?」
「そこは僕が説明するよ」
賢太郎が頷いて一歩下がった。
「僕もよくわからないんだけど、記憶が退行してるみたいなんだ……」
「退行?」
「今津久居君は自分のことを15歳だって思ってるみたいなんだ」
「えっ……」
「え!?」
「だから御影君が突然大きくなってて気付けなかったみたいで」
槙原の言葉に皆が驚愕の表情を浮かべる。
「マッキー騙されてるんじゃないの……」
「僕もそう思ったんだけど」
ちらりと賢太郎の顔を見た後瞠の顔を見て笑う。
「なんか子供っぽいというか素直というか、可愛いんだよね。なにより僕にツンケンしてない!」
「僕も可愛い賢太郎見たい」
「僕もです」
「俺も見てみたいかな」
「だ、だめっ!!俺の兄ちゃん!!」
涙の止まった清史郎が賢太郎を引き寄せ背中に隠そうとする。
「大きくなったのに変わってないんだな」
おかしそうに笑う賢太郎は確かに今までの賢太郎よりどこか幼い表情をしていた。
「そうそう聞いてよ!津久居君に事情聞いたり説明してたら御影君が泣いてるだろうから連れてってくれって言いだしたんだよ!思わずときめいちゃったよ!」
「だからマッキー騙されんなって……!!いくら昔がよくても今じゃあれだよ!!」
「そうだね〜」
「兄ちゃんは優しいよ!」
「そうですよ」
「うん、格好いいもんね」
「皆、騙されてるんっスよ……」
「おまえらもう少し落ち着けよ、賢太郎は俺たちの名前はわかるのか?」
「いや、わからないが槙原から聞いた」
「そうか、思い出すかも知れないし自己紹介だけでもしとくか?」
「ああ、頼む」
「辻村煉慈、作家だ。賢太郎は俺の料理をよく食べに来てたし、本も褒めていた」
「ちょっ!?」
「茅晃弘です、津久居さんは僕にとても優しくしてくれました。遊びにも連れて行ってくれました」
「白峰春人、どういえば良いのかな……よくしてもらってた、かなぁ」
「和泉咲、賢太郎の恋人だよ」
「冗談言うなよ!!」
「瞠うるさい」
「賢太郎、彼は久保谷瞠だよ、泣き虫なんだ」
「その紹介やめてよハルたん!!!」
「に、兄ちゃん、お、俺は……」
「分かってる、清史郎だろ、俺の弟の」
「に、兄ちゃん……」
「あはは、御影君凄い感動してる!!」
「それでなにか思い出したか賢太郎?」
「いや、知ってる気はするんだが……」
首を傾げながらもいまいち実感してない様子に皆は顔を曇らせた。
「俺のせいだ……」
また泣き出しそうな清史郎の声が響くと賢太郎は清史郎を抱きよせた。
「俺はおまえを守ったんだろ?」
目を涙で潤ませながら何度も頷く。
「なら充分だ」
その優しい声と台詞に思わず全員が詠嘆の声を漏らした。
誰もが見守ってしまっていた。
清史郎の頭を撫でる賢太郎の手つきは優しくまるで宝物を扱うようだった。
「兄ちゃん……」
清史郎の頬が赤らむ。
「僕も賢太郎に撫でてほしい」
「……僕も」
その光景に吸い寄せられるように咲と晃弘は賢太郎に近付いた。
「どうしよう、僕もお兄ちゃんって呼びたくなってきた……」
「ま、マッキー……」
「おまえはいかないのか」
「辻村もいきたいんじゃないの」
「俺はべつに」
「俺だって」
そう言いながらもどこか落ち着かない煉慈と春人は賢太郎たちを見ていた。
「津久居さん」
「賢太郎」
じっと見つめる目に賢太郎は笑って手を伸ばした。
「どうした、撫でてほしかったのか」
「はい」
「うん」
いつものような撫で方では無く優しい撫で方だった。
「でも、このまま記憶戻らなかったらどうするつもり……」
春人の呟いた言葉に空気が凍りそうになった。
「全部忘れるってことだろ、俺たちがやってきたことを」
「許されないだろ、それは」
淡々とした声で告げる煉慈に瞠が素早く返す。それに同意するように頷くと清史郎はぎゅっと賢太郎を抱き締めた。
「兄ちゃん」
もっと甘やかしてほしい。でも、それじゃいけない。わかってる。涙がまた零れる。
「清史郎」
清史郎の涙を拭う指からは煙草の匂いがした。
「兄ちゃんだいすき」
「ああ、知ってる」
安心させるように笑う賢太郎に心が痛んだ。
知っている賢太郎より10歳以上も若いのに変わらない、いや、今よりももっと強い兄だった。
「俺もすきだよ」
息が出来なくなりそうだった。
「……ッ!!」
少しの沈黙の後、賢太郎が青ざめ口を隠した。
「え、なに、どうしたの!?やっぱり病院行った方が」
槙原が賢太郎に駆け寄ろうとした。
「来るな」
冷たい一言に皆が目を瞬かせた。
「帰る」
「えっ」
清史郎を押し退け玄関へと向かう途中で少しだけ後ろを振り返って賢太郎は口を開いた。
「咲、おまえは俺の恋人じゃないし、槙原に兄と呼ばれたくない」
言い終わると同時に賢太郎は足早に寮から出て行った。
「なにあれ……」
「記憶戻ったんじゃ……」
「マジで!?兄ちゃん!!」
追いかけようとする清史郎の腕を瞠が掴む。
「ざまあみろって思うけど今日はちょっと静かにしてやれよ……」
「なんで!?」
「うん……」
どう説明して良いのか悩む様子の瞠に晃弘が言った。
「津久居さんは照れ屋だから」
「茅サン、その発言は……」
「え、じゃあ、なに、津久居君照れてたの?」
「ワオ」
「そうか?」
「煉慈にはわからないの?」
「どこが照れてたんだ、機嫌が悪くなっただけじゃないのか」
「うん、まあ、そうなんじゃないっスかね?」
「もっと賢太郎見とけばお兄ちゃんらしさわかったかな」
「ハルたんは今のままで充分っスよ」
「兄ちゃん照れてたんかな?やっぱ見てくる!」
「だから清史郎やめてやれよ!」

降りだした雪が少し積もったせいかその上に足跡があった。
歩幅は大きく急いでいるような、まるで逃げているような、そんな足跡が。




ネヴァジスタ3周年おめでとう御座います!
もう3年、まだ3年どちらかは分かりませんがこれからもTARHS様のご活躍を応援していきたいと思います。
私個人としてはネヴァジスタに出会ってからはあっという間に月日が過ぎて行きました。本当に楽しい日々を送らせて頂きありがとうございます!
これからも魅力的なキャラを見ながらキャッキャッしていきたいと思います。


◆ 海樹
◆ @sea_trees
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