浮かれた街並みが、不敬に聖夜の訪れを知らせる。

 煌びやかな明かりの隙間を縫う、二つの黒い影。足取りはかたや軽く、かたや重い。
 ――聖し夜、愛しい子供達が幸福な夢と共に在りますように。

===

「清史郎くんの家ってサンタさんが来ないんだって」

 囁く周囲の子供達は、皆が一様に納得した表情を見せていた。
 清史郎は気にも留めない。プレゼントを運ぶ老人が来なくても、彼には兄がいた。母のように邪険に扱わず、父のようにいない者にしない、心躍る物語を授けてくれる兄がいた。
 兄がいるだけで彼の世界は満たされる。これ以上、望むものなどありはしない。
 世界で清史郎だけが知っていた。彼の家にサンタクロースが訪れないのは彼が悪い子供だからではない。これ以上清史郎に何かを与えるのは、他の子供達にとって不公平だからだ。

 そう自分に言い聞かせて。
 本当は、空を飛ぶソリを一度この目で拝んでみたいのに。

 何故うちにはサンタさんが来ないの?一度母に尋ねた時、彼女は冷たい瞳ではき捨てた。
「あんたが良い子じゃないからよ」
 彼はこの先、同じ問いを繰り返す事はないだろう。

 ――だって、サンタさんは兄ちゃんのところにもやって来なかったんだ
 ――兄ちゃんが『わるいこ』扱いされるのはやだもん

 いつも通り、兄に腕を引かれて帰った家に両親の姿はなかった。
 彼が眠りから覚めても、その枕元に何か置かれている事はないだろう。

===

 子供達の歓声が上がる。

 思い思いに過ごしていた子供達があっという間にひとつの場所に集った。輪の中心にいるのは、赤い服を着た外国人の男性――サンタクロースだ。
 彼がプレゼントを配る様子を遠巻きに見つめる瞠の肩を、神波が苦笑気味に叩いた。
「君も行っておいで、瞠くん」

 びくり、と幼い肩が揺れた。
 ――瞠は怖かった。
 あの穏やかな笑顔が冷たく凍り、静かに自分の前を通り過ぎて行く瞬間が。
 知っていた。自分が『良い子』などではない事を。
 思い知らされた。あの冬の日、約束を交わした震える小指に。

 自分がどんな行いを重ねてきたのか。自分が『わるいやつ』『いいやつ』のどちら側に立っているのか。

 俯く幼い顔に長い影がかかる。見上げれば、そこには微笑む老人の姿。
 瞠が輪に加わらないのを見て向こうからやってきたらしい。小さな袋が、ぽす、と間抜けな音を立てて小さな両腕に収まる。
 甘い匂いが漂った。よく知っている。この匂いの元を作るのが得意な人物を。

「良かったね」
 微笑む相棒に、瞠もまた笑顔を返した。
 相棒が、無邪気な笑顔を望んでいたから。

「――うん」

 またひとつ、幼い身に嘘を重ねる。

===

 毎年、クリスマスや誕生日ほど恐ろしいと感じるイベントはないだろう。

 目が覚めて、当たり前のように視界に入る小包を抱えて――春人はうずくまった。
 見ている。智人が見ている。春人の背後で、絶えず怨嗟の叫びを上げている。

 おにいちゃんのせいでぼくは。
 おにいちゃんがたすけてくれなかったから。
 おにいちゃんのどこが

 ――弟を見捨てる兄のどこが『良い子』なものか。

「……い」
 震える肩。震える腕。震える足。頬を伝うのは冷や汗。涙は出なかった。
 繰り返すのは、謝罪の言葉。

「……めんなさい。ごめんなさい。ごめんなさい……!」

 春人は知っている。同じ形をした包みが、よく知る笑顔の収まった仏壇の前にも置かれている事。
 春人は知っている。その中身すら、時が過ぎれば自分の物になってしまう事。

 この先、春人は智人に贈られる筈だった無数の物を横取りして生きるのだ。
 その命を見殺しにして、自分が生きながらえたのと同じように。

 重く圧し掛かるその重圧に、償う方法はまだ知らない。

===

 片目の世界に慣れ、レンズ越しの世界に慣れ、また冬がやってくる。

 家にあんなにも懐いた兄の姿はなく、父もこの時期は忙しいのかほとんど家に帰らなかった。
 今日の食卓も祖父と囲むのだろう。お手伝いさんの優しい笑顔を眺めながら。

 優しい世界。未だ痕の残る身体を全てなかった事にして成り立つ優しい世界。
 それに浸る内、晃弘は楽しくもないのに笑う方法を覚えた。

 兄の怒号のする方へ引っ張った腕が、いつもよりも豪華な食事を並べる。
 クリスマスですね、坊ちゃん。
 兄から受けた暴力から視線を逸らした目が、楽しそうに細められる。
 食後にはケーキもありますよ。

 人の家よりも大きなテレビ。その画面に何かが映る事はない。
 使用人は晃弘に気を遣っているのだ。これ以上彼が自分を『悪い子』だと思い込まないように。
 茅家に関わる人々は、サンタクロースの存在を彼に伏せていた。厳しい教育方針を掲げる彼の祖父が、クリスマスのプレゼントなど贈る筈もなかったから。

 そんな風に気を遣わなくても、晃弘はこの世に希望も奇跡もない事はよく知っていたのに。
 ただひとつだけ、この世にそれに類似する何かがあるとするならば。

「……『その時』がもし訪れるなら、クリスマスだといいな」

 最初で最後のクリスマスプレゼント、白峰春人から与えられる死の瞬間を思い浮かべて。
 差し出された小指に縋る少年の呟きは誰の耳に入る事なく消えた。

===

 毎日毎日、思う事は同じ。
 ああ、おなかがすいた。

 手の届かない豪勢な食事ばかり移すテレビは腹立だしくて消してしまった。家中を走り回る列車模型の進行を邪魔するように寝そべる。
 良い子?悪い子?関係ない。サンタクロースなんていらない。欲しいものは、全てこの囲いの中にある。
 足りないのは、空腹を満たす何かと愛しい姉の姿だけ。

 元々花が何日も帰らない事なんて珍しくもないが、この時期を共に家で過ごした事などないのではないだろうか。夜が明け、酒と煙草の臭いをその身に纏い、冷めた馳走の一部を切り取って帰ってくる。
 冷えたチキンも冷えたピザも大して美味しくなかったが、それでも咲は夢中になって頬張った。

 その瞬間を夢に見て、ごろり、ごろりと寝返りを打つ。固いフローリングとその上に並べた線路が、骨ばった幼い背中を刺激した。
 頭に張り付いたフケと埃がそれらに落ちる様はまるで雪のようで。

「メリークリスマス」

 何もめでたくなどないが、小さく呟いた。
 冷えた部屋の真ん中。空腹の満たされない箱庭で。

===

 どいつもこいつも、装うならもっと上手くやればいいものを。

 長い溜め息、口から頭を出しかけた呟きを飲み込んで。
 この時期になると必ずやってくる叔父の姿を横目に、呑み込んだそれらの代わりに欲しい本のタイトルを何冊か挙げる。
 気の利かない父にサンタクロースの真似事など務まるはずもなく、それらをこなすのは叔父である吾朗の仕事だったのだ。肝心の甥にはとっくの昔に看破されている事も知らずに。

 気付かないフリをして有難く受け取ってやるのも子供の務めだと。
 叔父が本当に気付かれたくない事はそれではなかったのに。

 夜が明けて丁寧に包装された本を取る。
 そこにそれを置いた叔父が一体何を想っていたのか、想像する努力を怠ったまま。

「仕方ねえ大人たち」

 全てを知った気になっている煉慈は、まだ何も知らないまま。

===

「うわっ」
「え、何これ」

 背後から聞こえた声に反射的に振り返る。そこにいたのは、春人と瞠。勉強の合間に飲み物を求めて来たのだろう。
 槙原は慌てふためいて、堂々たる存在感を放つそれを必死に背に隠した。隠したところでそれの身長は槙原をゆうに超えているのだが。

「ああ、急に夕飯担当を引き受けたと思ったら……」
「サプライズだったワケね」
 詰めの甘さが槙原らしい、と溜息をつき、先日酒瓶と偽って運ばれた巨大な荷物の正体を知る。賑やかなクリスマスツリーだ。
 その足元にはいくつかのプレゼントの包み。アメリカ式である。

「まだ肝心の料理がさっぱり出来てないんだけど……まあいいや、好きなの開けて。早い者勝ちだよ」
「ほんとに!?」
「ありがとうマッキー!」
「僕から、じゃないです。サンタさんから、です」
 強調して。教師として生徒に個人的にプレゼントを贈る事は出来ない。……それ以前に、此処にあるそれらは本当に槙原の用意した物ではなかったのだが。
 まだここにいるのは二人だが、楽しそうに包みを選んでいる。追い詰められている彼らの息抜き程度にはなったようだ。

 晃弘はサンタからだ、と強調しているのに槙原に礼を言ったりするのだろう。煉慈は不器用に礼を伝えようとして、きっといつものように上手くいかない。そこに付け入った咲が彼への贈り物まで横取りしようとして。一番喜ぶのは清史郎ではないだろうか。彼はここ数ヶ月の幽霊棟の空気が窮屈で仕方ないといった様子だったし。
 いずれ此処にやってくる面々の様子を浮かべ自然と綻ぶ槙原の視界の隅で、二人の生徒が楽しそうに言葉を交わしている。

「でももうサンタさんが来るような歳じゃないのにね」
「ね」
「――そんな事ないよ」

 伝える言葉には心を籠めて。

「君たちはご褒美を貰って然るべき『良い子』なんだから」

===

 冬空、聖夜の前日。懐は寂しく、並ぶ食事は一人身男には不相応なくらい豪勢だ。

 ほんの数日前の事。いきなり槙原が押しかけてきて大量に作り置きしていったのだ。ホイミがどうどか、訳の分からない事をのたまいながら。
 いくら真空パックをかけて冷凍保存していても、保存料も入っていない食品はそう長くもたないだろう。
 石野でも呼ぶか。新婚に気を遣わず携帯を取り出すと、狙い澄ましたように着信が入る。槙原だ。

「……何だ」
「メリークリスマース!」
「飲んでるのか、お前」
「素面だよ」
 耳を刺すキンキン声に眉を寄せた。背景からよく知った子供たちの賑やかな声も紛れて聞こえてくる。
「成功したのか?」
「クラッカー鳴らす前にバレちゃった」
「……お前は……」
 人の金でしこたま買い込んでおいて。

「教師の僕が個人で贈り物をする訳にはいかないでしょ?」
 とは槙原の主張だが、未だ恨み残る賢太郎への嫌がらせも兼ねての事だろう。勿論最初はなんで俺が、と突っぱねたのだが、続いた言葉には流石に背筋が凍った。
「……清史郎くん、最近皆に相手してもらえなくて鬱憤溜まってるみたいなんだよねえ」
 清史郎の諸々が切れてしまえばどうなるかは知っての通り。そんなこんなで、今回のサプライズには賢太郎も一枚噛む事となった。

「皆、すっごく喜んでたよ!」
「……そうか」
 どうせ噛むならクリスマスもそちらで過ごすべきだったか。めいめいにプレゼントを選ぶ楽しそうな子供たちを弧の目で拝めなかったのは、少し残念だ。
「こっち来れば良かった、とか思ってるでしょ」
「思ってない」
「ふふ。――メリークリスマス、津久居くん」
「ああ。――メリークリスマス」

 見透かされた思考を宙に浮かべて、東京の空を眺めた。
 雪の気配はない。身を刺すような冷気だけが、灰色の空、星のない都会の街を漂っていた。



図書室のネヴァジスタ3周年おめでとうございます!
3年間ネヴァの沼に浸かりっぱなしでした、多分まだまだ浸かり倒すと思います。
FOOLもとても楽しみですー!これをきっかけにまた新たに沼に引きずり込まれる人が出てくればいいな、と。
3年経ってもまだまだ展開を見せてくださるTARHSさんのATMになりたい


◆ 篠崎
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