僕の王子さま

 最初に思ったことは、彼の身体は存外軽いと言う事だった。
 ちらちら粉雪が舞い踊る夜の雑踏を僕は彼をおぶさりながら歩いている。彼と言うのは、僕を海底から引き摺りあげてくれた津久居賢太郎と言う男性だ。
 彼は気高かった。それは大空を翔る鷹のように。そして孤高だった。闇夜に浮かび上がる月のように。そして悲しくなるくらい博愛だった。それはナイチンゲールのように。
 彼のような孤高の月が、浮かんでいた。月は僕の足元を薄く照らし、導いてくれる。
 粉雪は積もるには至らずに、足元を濡らしていく。僕は滑らないように、ゆっくりとゆっくりと、嬰児のように歩く。
 不思議と寒さは感じなかった。背中から伝わる彼の熱がそう錯覚させてくれたのかも知れない。
 僕の隣を、僕の歩調に合わせてゆっくりと歩いてくれる人物がいた。高校に入学したとき、泣いてしまうくらい焦がれた人物だった。彼は、この年になってもあまり変わらなかった。身長は伸びたように思うが、それと同じくらい僕も大きくなったので、彼の成長を肌で感じることは少なかった。それでも、少年が持ち得なかった落ち着き、少年が得ることが出来ない鋭角さは持ち得ているのだから、彼は確実に一歩を踏み出している。それでも、恋い焦がれた彼の優しさは失われていないのだから、人間と言うものはいいところは忘れないで成長出来るらしい。
 僕はどうなのだろうと、寒空の下、溶ける呼気を見詰めながら考える。僕はどれだけ少年から脱することが出来たのだろうか。
 判らなかった。僕はあの時のまま、変わらずに誰かに依存して、誰かの肩に凭れかかって生きているのではないのかと思う。見た目がどれだけ大人に近づいても、友人の白峰ほどには大人に成り得たとは到底思えやしないのだ。
「白峰、僕はどれだけ大人に近づけただろうか」
「……十分大人だと俺は思うよ。精神的にも、肉体的にも。君は高校生の時のままじゃない。辛いことを乗り越えて、今と言う時を勝ち得たじゃない。それでも君はまだ自分が子供だと思うの?」
「どうだろう。僕はまだ君にだって、久保谷にだって依存しているのかも知れない。だって君たちを手放すと思うと、胸が張り裂けてそこから涙が溢れそうだ。ああ、それに僕は彼だって手放したくはない。彼だってと言うよりは、彼だけは、と言う方が適切かも知れない」
「茅、良いこと教えてあげる。依存と大事は全く違うんだよ。君が賢太郎に抱いている感情はもう依存じゃない。彼のことを大事だと思う気持ちそのものだ。そんな人に出会えた奇跡を僥倖だと思わなきゃ」
悪戯に表情を作って笑う白峰の顔は、高校時代のものと同じ、酷く慈愛に満ちていて、僕が縋っていた、求めていたもののそれだ。
 白峰がぶるりと震えて、マフラーに顔を埋めた。寒いと大声で、でも僕と夜空しか聞き得ないその叫びは誰にでもなく向けられているものだった。
「あーあ! でも今日は楽しかったけど最後の最後でけちがついたなあ。まさか賢太郎が寝ちゃうなんて」
「仕方ないよ、津久居さんは深酒すると寝るのを知っていて、お酒を勧めたのは僕たちだ」
「でも! 俺たちの門出くらいは寝ないで見守ってほしかったな」
「それは否定しないけど。成人式なんて、一生に一回だ。この時を逃せば、もう訪れることはない。それに、僕は僕が成人式を迎えられたことを、心から意外だと思う」
「……あの時の俺たちは、砂上の城だった。いつ波に浚われて崩れるか判らない城。でも、俺たちには彼がいたでしょう。賢太郎が。だから俺たちはまだ呼吸が出来るんだ」
 今日は、僕たちの人生でたった一回しかない成人式の日だった。式典自体には彼は参加していないが、高校時代の友人と槙原先生が集まる飲み会には参加していた。
 みんながみんな、大人たちの前で堂々と飲酒できるので、それはもうお祭り騒ぎだった。酒に強い先生は居酒屋にある酒を片っ端から頼んでいたし、それに酌をする久保谷に、辻村を酔わせて悪戯をしようとする和泉。白峰は自身を制御して少しずつ飲んでいたし、僕は津久居さんと飲酒が出来るので少々浮かれて沢山飲んでしまった。
 結果として、彼はいつもだったら子供である僕らに見せないだろう失態を晒し、眠りに就いた。その様子を先生は腹を抱えて笑っていたし、和泉は携帯電話で写真に収めていた。あとで僕もその写真をもらおうと思う。それを見かねた白峰が、俺と茅で賢太郎を送ろうと言いだしたのだ。
 僕と白峰は、食事代を置いて店から出る。白峰は力がないので、津久居さんは僕が運ぶことになった。眠りの淵を彷徨う津久居さんは抵抗することなく、僕の背中に跨り、寝息を立てた。
 それを可愛いと白峰は笑いながら津久居さんの髪を撫でる。僕も撫でたかったが津久居さんで両手がふさがっていて叶わなかった。
「けど、本当、賢太郎ったら。いつもだったらもっと格好つけるのに今日に限って寝ちゃうなんて」
「それだけ嬉しかったんじゃないかな。白峰、君の門出が」
「それを言うなら茅もだよ。茅の門出だって賢太郎は祝福するでしょう」
「そうかな。彼にとって僕はどんな存在だろう」
 僕の呟きに、白峰は唸った。真剣に考え込んでくれているのだろう。やっぱり白峰は優しい。僕のことを真摯に受け止めてくれるのだから。
 しかし黙っている時間が長いと不安になる。白峰は人を傷つけるような発言をするとは夢にも思ってはいないが、ここまで黙られると逆に僕にいいところがなくて、誤魔化す方法を考えているのではないかと考え込んでしまうのだ。
 星が瞬いていた。いつか見た流星には叶わないが、それでも夜空に咲き誇る星は十分に綺麗の対象になり得た。
 吐く吐息は雲のように星を覆い、星空を隠そうとする。それでも隠れない星空は失うことのない僕たちの未来の輝きそのものだろう。
 背中の熱源が優しかった。僕をあやすように暖かいその熱は、僕の輝きそのものだった。
 白峰が唐突に僕の方へ向き直る。鼻の天辺は寒さで真っ赤だったし、耳もそうだった。
「難しいことは言えないけど。茅は賢太郎にとっての狐なんだと思うよ」
「狐? 僕は津久居さんのペットか何かなのかい」
「茅は頭がいいけど、こういうところは致命的に馬鹿だね。……けどいつか解る日が来るよ、天啓のよう閃く日が。そこから君の人生はもっと輝くんだ。約束する」
 ああ、酔いが覚めないな。そう言って白峰はボトムのポケットから財布を取出し、近場に合った自販機に近づいた。そこで温かなコーヒーを買っていた。プルトップを開けて、白峰は続けた。
「俺も君も、賢太郎なしでは今はなかったでしょう。だからきっと、俺たちのとっての王子さまは賢太郎だ。賢太郎は様々なことを俺たちに教えてくれた。それは賢太郎しか与えられない大切なことだ。そして王子さまは狐と出会った。狐は王子さまに与えたんだ」
「なにを、与えたんだい」
「絆、友情、唯一、特別。言い表し方は沢山あるよ。茅は賢太郎にとってそんな存在だ。彼が俺たちに多大なものを与えたように、君も彼に多大なものを与えたんだよ」
 いまだに意味が解ってない僕の頭を、弟にするように白峰が撫でる。冷たい手は凍て付いているように思うが、僕にとって確かな温もりを与えてくれた。
「白峰は狐じゃないのかい」
「……君には及ばないだろうけど、狐だと思うよ。だって、賢太郎は俺にとって王子さまだもの」
 君だけの王子さまは独占させないよ。白峰は大きく一歩を踏み出して、僕の前で翻った。
 僕はまだ、白峰の言ったことが理解出来ないけど、いつか理解出来る日が来るといいと思う。彼の言った通り、津久居さんは僕の特別で、輝きで、青春そのものだから。
 そうして、僕たちは大人に成っていく。津久居さんの背を追いかけて、追い越して、大人に成っていく。その瞬間を津久居さんは眩く見ている。そんな未来を僕は思い浮かべた。




ネヴァジスタ三周年、おめでとうございます。この節目に立ち会えたこと、僥倖に思います。まだネヴァジスタに出会って日は浅いですが、好きな気持ちは大きいです!これからもネヴァジスタで人生楽しく生きたいです。赤ワイン買ってきます


◆ みき
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